転機
人生で何回か迎えると思います「転機」について書こうと思います。
思い返せば転機だったなぁなんて事もあったり
まだ気付いてない転機もあるかも知れません。
そして、私にとって一番の転機は
大学を卒業した後に入社した会社で
「香山社長と山田副社長と出会った事」が自分史上No.1の転機だったと思いますし、
これから先もそれが一番で在り続けるはずです。
親のおかげもあり不自由のない生活を幼少期から過ごしてきた自分ですが
何か物足りなさも感じておりました。
それは、不自由がなかったからかも知れません。
(そんな事を言うのは不自由があった方がいれば怒られてしまう話かもしれません。)
親や周りの友達の影響や環境があり、
自然と野球というスポーツに出会い
小中高大とプレーさせてもらいました。
勿論野球をする上で苦労は沢山しました。
好きでやっている事だから苦労じゃないなんて世間では言いますが
なかなかそんな綺麗な感じではなかったです。
けど、報われる事もその分沢山あったのも事実です。
(これも、野球がしたくても出来ない人から言わせたら怒られてしまうかも知れません。)
家族、チームという枠の中で育ってきた私には
「チームとして」の考えはありましたが、
「自分はこれがしたい、あれがしたい」と発信する事はほとんどなかったのです。
そんな私ですが、
実は将来やりたい事はありました。
それを公に声に出したのは、
23歳、社会に出た時でした。
会社という枠には入りましたが、
社会人として親の目から離れ、学生でなくなり、
その夢が急に大きくなったのです。
その事を伝えたのが
当時同期だった香山社長と山田副社長です。
同じような志を持っている人と出会い自然と口に出していのだと思います。
そして、二人はなに一つ口を挟むことなく聞いてくれました。
そこから、私の人生のドラマが大きく動き出しました。
まだまだ道半ばではありますが、この転機今でも幸せな事と噛みしめています。
今は、また素敵な仲間を加えて日々歩んでいます。
明日も明後日もこの先も毎日をしっかり踏みしめていき
メークドラマが完成していく事を楽しみたいです。
(完成なんてないかもしれませんが)
鈴木 隆太
思い返せば転機だったなぁなんて事もあったり
まだ気付いてない転機もあるかも知れません。
そして、私にとって一番の転機は
大学を卒業した後に入社した会社で
「香山社長と山田副社長と出会った事」が自分史上No.1の転機だったと思いますし、
これから先もそれが一番で在り続けるはずです。
親のおかげもあり不自由のない生活を幼少期から過ごしてきた自分ですが
何か物足りなさも感じておりました。
それは、不自由がなかったからかも知れません。
(そんな事を言うのは不自由があった方がいれば怒られてしまう話かもしれません。)
親や周りの友達の影響や環境があり、
自然と野球というスポーツに出会い
小中高大とプレーさせてもらいました。
勿論野球をする上で苦労は沢山しました。
好きでやっている事だから苦労じゃないなんて世間では言いますが
なかなかそんな綺麗な感じではなかったです。
けど、報われる事もその分沢山あったのも事実です。
(これも、野球がしたくても出来ない人から言わせたら怒られてしまうかも知れません。)
家族、チームという枠の中で育ってきた私には
「チームとして」の考えはありましたが、
「自分はこれがしたい、あれがしたい」と発信する事はほとんどなかったのです。
そんな私ですが、
実は将来やりたい事はありました。
それを公に声に出したのは、
23歳、社会に出た時でした。
会社という枠には入りましたが、
社会人として親の目から離れ、学生でなくなり、
その夢が急に大きくなったのです。
その事を伝えたのが
当時同期だった香山社長と山田副社長です。
同じような志を持っている人と出会い自然と口に出していのだと思います。
そして、二人はなに一つ口を挟むことなく聞いてくれました。
そこから、私の人生のドラマが大きく動き出しました。
まだまだ道半ばではありますが、この転機今でも幸せな事と噛みしめています。
今は、また素敵な仲間を加えて日々歩んでいます。
明日も明後日もこの先も毎日をしっかり踏みしめていき
メークドラマが完成していく事を楽しみたいです。
(完成なんてないかもしれませんが)
鈴木 隆太
SHARE
シェアする
[addtoany] シェアする